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プログラマーやっています。技術よりも人間学的なところが好きです。

要はバランス

背景

なんとなく界隈のなかで「要はバランス」という言葉に好意的でないニュアンスが広がっているような気がします。 自分自身は中国哲学の陰陽理論がとても好きでできる限り発想をそこに寄せている立場なので、「要はバランス」に対して誤解されていることに対して補足を加えたいと思います。

ここでは中国哲学の陰陽理論の解説を以って、バランスとは何か、誤解の元は何かを説きます。

出典

陰陽理論といえば『易経』がもっとも有名な出典ですが、理論自体が中国哲学の一部となっている感があって、色んなところにこの話が出てきます。

自分はどちらかというと武術のなかでそれを見ることが多くて、太極拳の『太極拳論』などを通して陰陽理論を体認しています。

なので、明確な出典から理論を持ち出していないことに注意してください。

あとは似た概念に五行、中庸もありますが、今回は紹介しません。

陰陽理論

すべてのものは陰陽でできている

この理論の基本的な考え方はすべてのものは陰陽でできている捉えます。朝と夜、男と女、火と水、長いと短いなどすべてのものは相対的に逆のものからなります。

例外的なものは存在せず、この陰陽の関係を理解し、助けていくことがこの理論の根本にあります。

動的平衡

陰陽はそれぞれ5:5のような印象を持たれますが、実際には完全な平衡を嫌います。この理論の背景は動的平衡であって、静的平衡ではありません。

陰陽理論の長である『易経』の易という漢字の意味は「変化」であり、絶えることの滔々とした変化を前提にしています。 その変化は陰が強くなればそれを補うように陽が強くなり、陽が強くなれば陰が強くなってそれを支えるというものです。

武術でも重心を5:5で固定することは居つくことになり変化が弱まるため、咎められます。 そのように陰陽の平衡はむしろ陰と陽を明確にするものです。あるときは陽が主で陰が従になり、次の瞬間にはそれが逆になっている、そういう動的な関係性を大事にします。

陰陽相済

すべてのものは陰陽でできていると書いた通り、完全なる陰もなければ完全なる陽も存在しません。陰と陽は支え合っているものです。 また、「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」というように互いの基となるものは同じで、陽は陰になるし、陰は陽にも転じます。

したがって、陰と陽は一見対立関係にありますが、一方で補完関係にあります。

他の概念との比較

近い概念にはトレードオフアウフヘーベン止揚弁証法)がありますが、これらは対立関係に重きを置いているように思います。 対立関係を強調し、それらを解決する第三案を出すという印象で、陰と陽の基は同じものである、動的平衡の中で常に関係性は変わると言ったダイナミックさはないように思います。

とはいえ根本にある原理をみると実用上はそう変わらないように思います。

なぜ誤解されるのか

陰陽の世界に絶対的なものはせず、全ては相対的なものです。具体的なものは全てその時点での陰陽の平衡であって、次の瞬間には別の形で平衡します。 なので、「要はバランス」おじさんになれば、毎回言う事やることが変わります。その時々で判断するのでどうしてもそうなります。

また、バランスという概念はどちらかが強くなればもう片方も強くなる道理があるのですが、なんとなく静的な平衡に捉えられがちなように感じます。 したがって、発展性がない議論、行動に思われがちです。ですが、バランスのない成長はなく、必ず両者が助け合って進んでいくものです。

あるいは今話題になっているのは対立関係を止揚して相補関係であることを発見したという言論ですが、対立するものが完全に相補関係だけになることはありません。必ず対立性・矛盾性が同時に存在します。 意見が割れているのは相補関係を強調する人と、対立関係を強調する人がいるからだと思いますが、それらは同時に存在するものです。

これらの哲学から、自分は「要はバランス」というのは一つの真理を付いていると考えるのですが、それが抽象的で捉えどころのないものだから、正確に認識されていないのではないかと思います。

ただ、自分は数千年続く中国哲学に傾倒していて、それを以って物事を認識しているので、西洋哲学、科学哲学、あるいは他のどこかにもっと素晴らしい哲学体系があって、そこから見ると間違った、偏った認識であることは否定できません。

とはいえ、自分としてはまだ中国哲学の認識が甘いので、もっと原典などに当たりながら認識を深めていけたらいいなと考えています。